前回に引き続き、能登半島地震の復旧支援活動として、石川県災害対策ボランティア本部様を通じて「志賀町災害ボランティアセンター」にて復旧活動に従事させていただきました。GWも明け、被災地域では、ボランティアがなかなか集まりにくい状況が続いているとのことでした。今回は、東日本大震災の支援で宮城県の浦戸諸島での復旧支援活動などに従事してくれた小峰通宏氏と、埼玉県内の特別養護老人ホームで災害時の業務継続計画(BCP)の策定委員をしている對馬貴智氏などで現地に赴き、他のメンバーを含む13名のチームで被災されたお宅の復旧のお手伝いをさせていただきました。
【志賀町全域の被害状況】
志賀町の被害状況は、人的被害として軽症者97名、重傷者7名、死亡2名、避難所は4月下旬の時点で合計10か所開設が継続されており、避難者数は221名とのことでした。避難所内における感染症(新型コロナやインフルなど)は、適切な管理により全ての避難所で発生していないとのことでした。屋根瓦の被害が多く出ており、業者による修理は、予約がいっぱいで、当面実施が難しいケースもあるそうで、行政が屋根などの応急処置で使用するブルーシートの配布を行っているとのことでした。仮設住宅は、整備完了が194戸、うち入居決定が182戸となっているそうです。医療面は、町立病院が全診療科を再開し、避難所の避難者については、DMATや日赤チームが巡回するなどして対応しているとのことでした。志賀町では、いまだに新たなニーズもでているほか、災害ボランティアセンターにていまだ解決できていないニーズも257件ほどある状況でした。
【今回のご依頼主様の地域の状況】
救援のご依頼主様のエリアは、志賀町の最北部に位置し、震度6強の強い揺れと、その後も大きな余震を数多く観測した地域でもあり、地域全体で建物の被害も多く見られました。4月に入ってからようやく水道が使える状況になったとのことで、それまでの間は、ご高齢の依頼主様が数キロ離れた自衛隊の給水所まで、天気の悪い日も毎日「水くみ」にいっており、それが何より辛くて大変だったとのことでした。大きなポリタンクで運ぶことができれば、毎日いかなくても良いのだけど、年寄りで持ち上げることができないので、3Lの小さなタンクをもって給水所に行っていたとのことです。また、周辺地域には、子どもが全くおらず、しばらくの間、子どもの声を聞いた覚えが全くないということで、過疎化が進行しているエリアでの活動でした。ご自宅や蔵など、敷地内の建物は、外壁に大きなクラックが散見され、大きな余震がきたら倒壊しそうで日々不安でならないとお話しされておりました。
【活動の内容】
当日の天候は晴れ、最高気温は30℃、自宅や離れが一部損壊となった高齢者のお宅への支援でした。主に破損したりして災害ゴミとなった家電類やタンスなどの家具類、じゅうたん、ふとん、壊れた土壁、ラック、割れた食器やガラス製品などの撤去と、集積場への運搬を行いました。運搬では軽トラック3台を活用して、延べ10回にわたり集積場へ運搬し、ご依頼主様から依頼されたニーズはすべて解消することができました。13名のチームメンバーがとても良い形で連携し、協力しあうことで、短時間でニーズを解消できたと感じます。
ご依頼主様からは「4ヶ月間解決できなかった困りごとが今回すべて解決でき、本当に感謝しております。また、仕事を持ちながら東京や埼玉など遠方から多くの方がかけつけて下さっていて、復旧の後押しをしてくれているということを知り、涙が出る思いです。本当にありがとうございました」とのお声をいただきました。活動後、トラック3台・送迎車2台の5台の車が見えなくなるまで、大きく手をふってお見送りして下さった、ご依頼主様。その表情は、笑顔と安心感に包まれていたように感じます。遠路はるばるご参加いただいた皆さま、日ごろからご支援いただいております皆さまに、改めて感謝申し上げます。今後とも変わらぬご支援をよろしくお願いいたします。
特別養護老人ホームで勤務する「對馬氏」が、ご依頼主様のお話しやニーズを丁寧に傾聴している様子(写真上)
災害ゴミに出す前に、ご依頼主様の大切な物がないか丁寧に確認・分別している「小峰氏」(写真左)
復旧が完了し、我々が活動した5/11から公開が再開された、志賀町の「世界一長いベンチ」460.9m。当日はベンチの公開再開を記念して、町が主催するイベントも開催されておりました。(写真右下)
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